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家の仕様だけでは計れないこと

家の仕様だけでは計れないこと

学校を卒業して建築と出会ってから、かれこれ30年近く経とうとしています。
この間には、いろいろな出来事、それらに対する感情、戸惑い、数々ありました。それでもやはり、私は建築が好きです。
新しく住まう方たち、新しく使う方たちのことを想像し、計画をし、設計をし、木や土に触れながら実際に建物をつくる。そこには、新しい暮らしや人の流れがうまれ、さまざまな生活が営まれていく。
大きな責任を受け持つ重圧を感じる反面、大きな嬉しさや充足感も生まれる。
私だけでなく、イシハラスタイルのスタッフのみんな、関わる業者の方々、職人の方々も建築が好きで、今までも、これからも、建築に携わって生きてゆくのだと思います。

(1)水や空気のように

私たちが普段あたりまえに使っている水は、山から流れてきています。私たちが呼吸している空気の中の酸素も、山が大きく関与をしています。
森林を構成する一本一本の樹木は、光合成により大気の二酸化炭素を吸収すると共に、酸素を発生させながら成長しています。
都市部で日常生活を送っている私たちは、この当たり前のことを忘れて生活をしています。
日本は国土の7割が森林で、そのうち約5割が天然林(自然の力で生まれ育った天然の森林)、約4割が人工林(木材生産を目的とした、いわば木を収穫するための畑)、約1割が原生林(人が全く立ち入らず長期安定している森林)という構成です。これらすべての森林は、私たちの生命維持に必須な水や空気を提供してくれています。
人工林では建築用途に適した杉や桧の針葉樹が植林され、草刈り、間伐、枝打ちなど人が周期的にサポートし、管理しながら計画的に育てていきます。50年~80年ほどで収穫(伐採)の時期を迎えることが多いです。
この人工林は、人の手を入れていかないと荒れていきます。荒れた人工林は、光が地面に届かず、栄養が行き届かないひょろひょろの細長い木となり、建物や道具の材料にすることができません。また、生き物が住みにくい森林となり、固くなってしまった土では保水力が低減し、洪水や土砂崩れを引き起こすこともあります。
人の手を入れるためには、山に携わる方々の営みが成り立つことが必要であり、林業を荒廃させないためには、人工林で育てた木(畑で栽培された作物)を建築資材として使っていくことが大切なことではないでしょうか。
日本の、自国の森林資源の使用率は3割程度といわれており、約7割は輸入材ということです。ストックはたくさんあります。増えていく一方です。国産材は、あるけれど使われていないということです。
毎日自分たちが生きるために必要な水や空気の多くは、おそらく近くの山がお世話してくれています。
感謝の気持ちを抱きつつ、木を使いながら、長い目で見守り、上手に共存できることが、やはり人にとっても山にとっても大切です。

(2)山のこと、ウッドショック

人が生きるために必須な水や空気は、山が大きな役割を果たしてくれています。10年ほど前でしょうか、人工林を紹介してもらう機会があり、その人工林のなかで、代々働く70歳くらいの林業関係者の方とお話しする機会がありました。
「今、あそこの尾根の下あたりの杉を伐採しておるんだけど、あれは俺のじいちゃん達が植林してた杉なんだ」
人工林では伐採して、また、植林します。今私たちが使っている国産材の木々はおじいちゃんたち世代が植えてくれたもので、新しく植林する苗木は、お孫さんの代のための木なんですよね。
私の日々の仕事における時間の概念とは、あまりにもギャップがあり、大変深く、この会話が思い出になっています。
人工林を使う、このサイクルを適切に管理すれば持続可能な資源です。今、使ってあげて植えないと、私たちの孫の世代に森林資源を残すことが難しくなります。
2021年を発端とするウッドショック。いろいろな海外からの要因が重なってはいますが、私たちの日本には豊かな森林資源があるにもかかわらず国産材を上手に使うことができていなかったことも反省すべき点だと考えます。戦後の高度成長期から多くの木材を輸入材に依存した結果、国内林業の順調な発展を支えることができていなかったことです。
今、私たちができること。それは、これから家を建てるときには、近くの山の木(国産材)を使って建てること、に尽きると思います。

(3)子どもたち、次世代

お客様と打ち合わせするとき、「今、建てようとしている家は、お隣に座っている可愛いお子さんの実家を建てることです」と、よく言ってしまいます。
空気や水、山のこと。親として、大人として、何を考え、どのように選択、決断して家を建てたか。将来、子どもたちに、「なんでこの家を、どんな風に建てたの?」と聞かれたときに、恥ずかしくない理由を伝えてあげたい。こっちのほうが安かった、簡単だった、便利そうだった、そもそも考えてもない、なんてことがないように。
自然のこと、時代背景のこと、人との関わりのこと、いろいろ悩んだこと。大人に比べ圧倒的に子どもたちは感受性が豊かです。本物の木や土に触れて育つのと、ビニールにラッピングされた家で育つのとでは、きっと、何らかの違いがあるような気がしています。
そして、その子どもたちが大人になり、家をつくる際には、「私は実家が好きです。私の実家のような家を建てたいです」と言ってほしいものです。

(4)住みやすさとは

日々家をつくっている自分が、この言葉について、勝手に自分で感じている言葉の印象のお話です。
住みやすい家と言葉でいうのは簡単ですが、住みやすい家ってなんなのでしょうか。非常にふんわりした言葉で、抽象的だけど、いいイメージの湧く言葉ではありますが。
住みやすい家、と聞いて、まずはなんとなく思いつくのが室内空間での住みやすさの印象でしょうか。
家事動線がよいとか、掃除が楽とか、冬暖かいとか、風通しがよいとか、明るいとか。もちろん、それらはいいに越したことはなく、家をつくる際に大切なことの一つの部分ではあります。
少し整理して考えると、「住みやすさ」という言葉から思い浮かぶことは、大きく二つに分けられると思います。
一つは、時間や労働を少なくできる便利さ。もう一つは、感覚的に感じる気持ちよさ。この二つが混ざっているのかなと思います。
前者の「時間や労働を少なくできる便利さ」については、それによりできた時間や余裕をどう使うのか、使えるのかをイメージすることが重要だと思います。
後者の「感覚的に感じる気持ちよさ」は、家をつくる際に、しっかりとイメージを持って、大切に考えたいことです。
この感覚的に感じる気持ちよさは、きっと裏切りません。頑張って想像して気持ちのよい家を建てましょう。
休日の午後、お庭で音楽をかけながらのんびりと草取りするのもわるくない。通りがかりのご近所のおばあちゃんが声をかけてくれる。子どもも適当にそとで遊びだす。そうこうしていたら日が暮れだして、こじんまりとつくった菜園のねぎを収穫。晩御飯の薬味にでも使おうか。そういえばたくさん採れたからといただいた玉葱もあったな、と。
もしかしたら、時間や労働を少なくできる便利さの追求は、ほどほどにしておいたほうが、暮らしている実感、を持って暮らしていけるような気がします。

(5)豊かさ

勝手に自分が感じている言葉の印象のお話です。「豊か」ということは非常にありがたいことです。諸先輩方が身を削って貧しくならないよう築き上げてくれたこの世の中。モノや食料がたくさんあり、文明や技術の発展によりかなえられた生活のうえでの余剰時間、命や危険などの不安を感じずに暮らせる日常、など、振り返って考えてみれば、本当にありがたいものです。
ここでいう「豊かさ」なのですが、そのありがたい豊かな日々の暮らしの中で、さらに感じることがある「豊かさ」のことです。ちゃかちゃかと日々忙しいんだけど、その中でちょっぴり幸せな気持ちを感じてしまうこと。そのような「豊かさ」が感じられるように、自分たちの建築を通して何かできることはないものだろうかと。「このエリアで、普通に暮らし働き、その人たちがちょっぴり豊かな気持ちを感じて暮らしていくこと、と私たちが目指す建築、の関係」は、大きなものがあると考えています。
それは「手間がかからない」の逆方向に「豊かさ」はあるような気がします。
語弊を恐れず逆説的にいえば、「手間がかかること」が「豊かな気持ちになれる」一つの手段なのかもしれません。

(6)虫や植物

暮らす地域や場所にもよりますが、虫や雑草にネガティブな印象を持つことは少なくありません。
虫や植物は脳をもたず、それらが持つ生命力のままに生きています。やぶ蚊も、「今日はこの方はお疲れそうだから刺すのをやめておこう」なんて考えてくれません。屋内にふと現れる虫も、「今から少しお邪魔します、あ、見つからないようにしておきますんで!」と言ってくれたらワーキャーならずに済むのですが。
雑草も成長時期になると遠慮せずガンガン成長します。せっかく綺麗に草取りしても、数週間でまたボサボサに。だからといって、新築時の計画時点からこれらを排除すべく、コンクリートで土を覆いつくしてしまう計画も私はあまり好みません。
草取りも、ときに、気持ちのリフレッシュになります。虫や植物がないと、野鳥も近寄ってきてくれません。野鳥が寄ってくると、フンに混じった種から新しい芽を出すことがあります。思いもよらない場所に。
草取りなど、この手間がかかることが豊かな気持ちになれる一つの鍵かもしれません。自然との共存や共生、何かをすればクリアできるなど簡単なものではなく、いい距離感を見つけることが大切なことではないでしょうか。
現代の自分たちの生活と、虫や植物と共存するためのほどよい距離感は、「暮らしていくうちに見つけていく」くらいがいいのでは? と思います。
以前建築させていただいた、山の中にあるような立地のお宅。時期になると、ムカデが毎日のように玄関やサッシ廻り、室内にも現われ、本当に困り果てておられました。住まい手さんと、私たちや庭師さんを交え、いろいろな作戦を練ったうえ、家の周りに遊歩道のようにコンクリートを打設しました。
さて、ほどよい距離感が保たれていますように!

(7)ペットや動物

わが家には、大型犬1匹とにわとり(烏骨鶏)2羽がおります。以前飼っていたこともある、猫もインコも大好きです。
命を預かり、一緒に暮らしていくことは、お世話が欠かせず手間のかかることです。手間のかかることは、やはり、豊かさにもつながっているなと感じます。
ペットたちは、虫や植物の生命力に加えて脳を持っています。ときに無条件に愛を求めてきて、ときに相手にもしてくれず、その自由なさまを見ると、自分たちの人生観をも顧みたりするほどです。
大半のペットたちは私たちより寿命が短く、そして、私たちが暮らす「家」というものを「巣」「仲間」と認識して暮らしています。
先日、建築後数年経ったお客様のお宅に行った際、かわいいやんちゃな子犬が元気に走り回っていました。
「もう、ほんとに大変で…」なんておっしゃりながらも、自分も笑顔に、子どもさんたちもみんな笑顔でおられました。
建築する際に、ペット共存の計画をさせていただくこともありますが、何らかのご縁やタイミングで飼うことになったっていうのもいいですよね。
なにか困ったことがあれば、一緒になって知恵を絞り、お家をカスタマイズしたりして、人も家族もペットも一緒に暮らしていく様子は、自分にとっても、幸せな気持ちと笑顔を与えてくれます。ぜひご協力させてもらいたいものです。

(8)薪ストーブ

20年ほど前に自宅を建てた際、薪ストーブを導入したいな、と考えていました。
しかし、薪の調達、メンテナンス、忙しい日々の生活、導入コスト、などに躊躇し、新築時には導入することを見送りました。
20年ほどの月日を経て、後付けで、昨年導入することができました(事務所棟にですが)。
ストーブ性能の向上で、針葉樹を燃やすことも問題なく、燃費も向上しており、メンテナンスや設置スペースも、かなり融通がきくものがありました。
薪の準備をしたり、灰の掃除、火をつけたり、薪を足したり。ボタン一つで暖かくなるエアコンと比べたら格段に手間のかかる作業なのですが、不思議とまったくといっていいほど苦にはなりません。
遠赤外線の暖かさはもちろん気持ちのいいものなのですが、少しの手間がかかることはやはり大切なこと、豊かさにつながるものだなと実感しました。
新築時に計画できるのはベストではありますが、自分たちのように、人生のタイミングをみて導入することも可能です。
ストーブを焚かない季節には、ちょっぴり冬が待ち遠しくも感じます。季節に応じてやることがある。これってなかなかいいものです。

(9)家の寿命

イシハラスタイルでつくる家の寿命は、新築~80年ほどがよいのではないか、と考えております。
現代の日本の建替えサイクルの平均は35年といわれているので、倍以上の年数設定となります。80年という設定の理由は、まずは鉄筋コンクリート基礎です。現代日本の木造建築の大半の基礎は、鉄筋コンクリートでつくられます。イシハラスタイルでつくる基礎も鉄筋コンクリートです。気象条件や立地条件にも左右されますが、実はコンクリートにも寿命があるのです。
コンクリートは、空気中の二酸化炭素の作用を受け、時間とともにアルカリ性が低下。そうすると内部の鉄筋が錆びて膨張し、ひび割れなどを引き起こしコンクリート内部がさらに劣化します。この中性化の速度などを考えると、~100年程度となります。
基礎だけをつくり直すなど、いろいろ補強工事としてできることはありますが、費用がかさむのと、ほかの部分の具合も想像すると、80年くらいが妥当ではないかと考えます。
柱や梁の構造材の木材は、まだまだ使えるとは思います。しかし、給排水管、電線など、設備的な素材の寿命もあります。これらも途中のどこかで更新することが必要かもしれません。外壁や屋根のメンテナンスや取替などの更新も途中で必要になります。
(これらの更新のタイミングや費用、それらをまとめたことも、イシハラスタイルが開催する家づくり勉強会でお話ししています)
今お話ししていることは、いわばハード面(コンクリートなどの構造の素材)のことですが、80年という年月をどう経ていこうかと考えると、ソフト面(間取りや暮らしかた)のことも重要です。その時代、年齢に応じた暮らしができるシンプルな間取りであること。適切な大きさであること(大きな家はメンテナンス費用も多大となります)。改修工事やメンテナンスがしやすい素材であること。
木造住宅で使う、国産材の杉や桧の材は、50~80年生のものを伐採して使います。おじいちゃんたちの世代、山で育ってくれた木々に、感謝の意を込めて、せめて同じくらいの年月は使っていってあげたいものです。

(10)記憶

しっかりと記憶が刻まれていく建物はとてもいいと思います。
わかりやすい事例としては童謡の「背くらべ」。柱の傷は一昨年の~です。このシーンは物理的にも、本物の木の柱が見えてないとできないですね。
梁が出ていると子どもは柱を伝ってぶらさがり、滑って落ちてべそをかいたりします。吹抜けがあれば何か物を落としてみようと思って叱られたり、きれいな壁があれば落書きをします。犬を室内で飼えば柱の角をかじってみたり、猫は壁で爪を研ぎだし、カーテンを引っ搔きます。
家の傷は思い出につながります。いずれ時が経つと、その記憶が、親も子も、家族の幸せな話題となります。
そこでなのですが、その傷の相手が重要なのです。往々にして自然素材(木や土。鉄や石や布も)であれば、その傷を受け入れてくれます。新建材と呼ばれるものは、なかなか受け入れてくれません。自然素材にできた傷は、自分たちでも補修もできます。気楽な素材だからです。同じ白い室内の壁の経年変化を比べてみても、ビニールクロスの壁と漆喰壁ではやはり違いますよね。
傷ではなくとも、記憶されるシーン(場面)もあります。夏休みにあの押入れのなかで基地をつくってみたよな、蝉の声と暑さとあの匂い…」「じいちゃんはあの縁側でよくウトウトしてたよな」「姉ちゃんはここで音楽を毎日聴いていたよな」「カレーライスの匂いが好きだったな」
家族の笑い声やときには涙した思い出。日々暮らしているだけでさまざまなことがあり、その記憶は家とともに刻まれます。
演劇やドラマ、映画に例えてもわかりやすそうですね。演者さんは家族やペットで、照明は陽の光、音響は風の音や日常の音、舞台セットが家。
しっかりと記憶がその家に染み付き、自分の居場所はこの家であり、最後の最後まで記憶と共にここで暮らしたい。そんなふうに記憶が刻まれていく建物を、一緒にお手伝いできたらと思っています。

(11)五感について

視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚のことを五感といいますが、情報判断の80%以上が視覚とされています。確かに建築物の案内も、WEBや雑誌などの写真によるものであったり、自分たちが見ていいなあと感じるものも視覚からが大半です。
しかし、実際にその家で暮らしてみると、視覚以外の、聴覚(聞こえるもの)・触覚(触れるもの)・嗅覚(匂うもの)・味覚(味わうもの)も同じくらいの重要性があると感じます。
風や雨の音、鳥の声などの自然な音。家族の足音や洗い物、近所の犬の鳴き声などの生活音。
あまりにうるさく感じるものはどうかと思いますが、自然の音や生活音は、集中力を増したり落ち着いたりします。
触れるものとしては、床の感触や座ったときの感触、玄関のドアノブの感触、浴槽の感覚。触れるものはやはり自然素材が気持ちいいものです。
匂うものも重要。朝パンが焼きあがった匂いや味噌汁の匂い。晩御飯のおかずを子どもと予想。木がふんだんに使われている家では、洋服に匂いが染み付いて、木の匂いがするよと言われてしまうこともあります。お風呂に桧の板を少し使ってあげるだけで、毎晩心地よい入浴タイム。
味覚はキッチン。業務用ガスオーブンでの料理はおいしくできること間違いなしです。
毎日の暮らし。五感が働く家やお店は、心身ともに健全で、とても魅力的な建物といえます。

(12)好きな建物

イシハラスタイルでは工事をさせていただいた物件を「お家を見せてもらう日」として、見学会を開催しています。住まい手の方の完全なるご厚意です。
そこにはイシハラスタイルで以前建てていただいたOB様が顔を出してくださることも多いです。その際には、「気持ちいいお家ですね」「素敵なお家ですね」「あ、こういう場所いいなぁ」「あ、これは自分のとこにはないなぁ」など、いろいろな感想を教えてくれます。
しかし、やっぱり自分の家が一番好き、というようなことを言ってくださいます。
私自身、建築をライフワークとし日々向き合っているつもりで、機会があれば、全国各地の素敵な建築を見たり感じたりするために出かけることがあります。
土地の読み込み、サイズ、素材感、雰囲気や空気感、と高いレベルでまとまった建築を感じると、おぉ~素晴らしいと感嘆の声をあげてしまいます。
そしてその出張から自宅に帰ってくると、すぐにスイッチオフになり落ち着きモードです。やはり自宅が一番なのです。
おそらくそれは、明るさ、生活音、匂い、空気感、空間のサイズ、などなど。それに加えて、いつも安心して寝起きできている経験、その暮らしてきた記憶があるからなのでしょう。
たくさんの記憶が刻まれ、普段からあたりまえに五感が癒される家。必ず、「自分にとっては一番好きな建物」が「自宅」になると思います。

(13)家での暮らしかた・家の使いかた

暮らしかたはいろいろと変化していきます。
たとえば出産。子どもができると暮らしかたはがらっと変わります。そして、子どもは成長するので、その成長段階によっても暮らしかたは変化していきます。
ペットを飼い始めることによっても暮らしかたや使いかたが大きく変わることもあります。
新たに出会った趣味や出来事によっても変わります。
人生100年といわれるなか、その間には、たくさんの家での暮らしかたや家の使いかたが変化します。
その変化に、さっと対応できる家がやはりいいのではと思います。
新築入居時に「完成」させる必要はありません。住んで暮らして使っていくうちに、いろいろなことを思います。考えます。
暮らしやすい家、使い勝手のいい家、はそのときに応じて、考える余地があったり、実際に工夫することができるような家。
使い慣れた道具のように手に馴染み、そこに思いや記憶も、くっついていくような家やお店は、必ずや、すてきに育っていきます。

(14)ヴィンテージ・アンティーク

もともとはワインの価値を示す用語だそうです。製造されてから、30年~100年未満をヴィンテージ。100年以上をアンティーク。
時間をかけてよさが増した品物という意味合いから、ファッションやインテリア、車などにも使われている言葉ですよね。
私も大好きです。しっかり作った家が、お店が、時間をかけて良さが増していくなんて、素晴らしいことです。もちろんある程度のお手入れは必要ですが、風化によって自然にこなれてゆく様や、住まい手、使い手によって、よりそのらしさがにじみ出ていく様は、本当に素敵なものです。
現在の日本、新築時からの平均建て替えサイクルは35年といわれています。築後完成した時が100%で、35年で、ほぼ0%の魅力になってしまう家やお店をつくることは、やはりおかしいと思います。
品番のない本物の素材、シンプルな素材、シンプルな工法・構造、メンテナンスできる身近な素材。親しみやすいサイズ感。流行り廃りのないデザイン。これらを一生懸命考え、本物の素材を使ってあげれば、ヴィンテージ・アンティークとなるべく、家や店を建築することは、さほど難しいことではないと思っています。

(15)建築物はまちの要素

「まちづくりに関した仕事をしたい」と学生の終わりに思いました。どうすればそれができるのかよくわからず、地元の工務店で働かせていただいて、そのときに、現場監督補助として、商店街のなかのあるお店の新築工事に携わりました。
そこで、「あ、建築物はまちを構成する要素なんだ!」と気が付いてから、建築にどっぷりとハマっていきました。
自分の資金でつくるのだから、自分たちだけよければいい、という気持ちで家やお店を建てることは、あまりよろしくないように思います。
あの角のお家ってなんかいいよね! とか、お庭の木に花が咲いたね! とか、あそこの洋服屋さんの建物の雰囲気いいよね、あのパン屋さんの雰囲気も好き、とか、そんな会話の生まれる、散歩に出かけたくなるまちになってほしい。
お店を計画する際は、特に気を付けるように考えているつもりです。もちろん看板はあったほうがわかりやすいですが、主張の大きすぎる必要以上に大きな看板は、そこに用のない人にとっては邪魔に感じてしまうかもしれません。
近くに暮らす方や、通りを通る人にとっても喜ばれる建築が、お店や商売の品位にも関わってくるものだと思います。

(16)地場工務店について

昨今の定義とすると、住宅の供給棟数が年間20棟未満の会社のことを工務店、それ以上をビルダー、ハウスメーカーと、順に大規模化していきます。イシハラスタイルは年間6~7棟の供給棟数なので、工務店に分類されます。
工務店と一口にいっても、いろいろなかたちがありまして、設計は外注し、大工さんを数名抱えて自社他社の施工をメインにする会社様もあれば、土地を仕入れて分譲住宅をメインにする会社様、その業務内容はさまざまで、工務店経営を安定化するために、さまざまなバランスで形態を成り立たせています。
建築の影響はとても裾野が広いものです。自然のこと、子どもたちのこと、地域のこと…。
少なくとも私たちの日常業務では、家を売っている感覚はありません。○○さんの家や△△さんのお店をつくっている感覚です。地元で生まれ育ち、事務所の隣に住み、日用品を買い物に行けば知り合いに会います。
転勤も人事異動もありません。スタッフのみんなも同じようなもので、一緒に協働してくれている職人の方々もそうです。
下手な仕事はできるはずもなく、大袈裟かもしれませんが、生涯をかけて、お仕事をさせていただいています。お施主様から、建築資金という大金を預かり、同じような気持ちの職人の方々に、代わってお支払いをする。職人の方々のお子さんの顔も知っていたり、お父さんの代から繋がっていることも。多くの地場工務店さんは同じような気持ちでお仕事をされていると思っています。
地場工務店は、一軒一軒、真剣に向き合って建築をしています。

(17)お金の使いかた 伝えかた

子どものころ、学校帰りに寄り道していたいくつかの駄菓子屋さんや文房具屋さんは、今、ほとんどなくなってしまいました。夏休みにはアイスキャンディーを買ったり、ときにはお店のばあちゃんに叱られたり励まされたり。
近所の八百屋さんや肉屋さん、魚屋さんなどの個人商店も少なくなりました。どのお店も、たとえ小さなお買い物でも、優しい挨拶をいただき、心からのありがとうの言葉をいただきました。
日常の一瞬のことなのに、なにかと記憶に残っているものですが、あるとき、あそこのお店も閉めてしまった、ここのお店もなくなってしまった、と少し寂しい気持ちになった際に、「ガツン」と衝撃が走りました。これは自分たちがいけなかったのでは!? と。
駐車場が広く営業時間の長いコンビニやスーパーマーケット、さまざまなものが自宅で購入できるネット通販。時代の流れや文明、技術の開発により、どんどん便利になっていく日々。新しいから、便利だからとついついこのような買い物のしかたをしてしまっているからなのでは、と。
新しい仕組みや技術、便利になることは歓迎すべきことです。ただ、お金を使うということはモノやサービスをその対価を支払って手に入れることですが、お金をつかうその先には、モノやサービスを提供してくれる人がいて、そのお金がどのように伝わっていくのかということを意識して使うことも大事なことなのではないか。そんなお金の使いかたを心がけたいと思いました。
私の個人的なお金の使いかただけでなく、仕事のうえでも、お客様から預かった工事代金で材料を購入したり、各職人方や工事店に費用を支払うときに、大切なお金がどう伝わっていくのかをちゃんと意識していくことを心がけます。そして、家づくりを依頼していただいたお客様に、心からのありがとうという気持ちを伝えていけたらと思っています。

(18)縄文の暮らし

幼少期のころ、家族旅行で静岡県の登呂遺跡に連れて行ってもらいました。
弥生時代の暮らしの展示や再現建物があり、なぜだかとても興奮した記憶があります。(今思えばここからつながっているのですね)
学生時代の好きな科目は地理でした。古くからある集落は、そこに存在していた理由の大半は地理地形によるものです。地図帳を眺め、その暮らしを想像すると、そこでの四季の暮らしや、その立地の自然はどうなのか、それがどう発展・衰退していったのか。そんなこんなで、大学では地理学専修で学ばせてもらいました。そこから、まちづくり、建築へと転じ、今のお仕事とさせてもらっています。
縄文時代の暮らしは、個人的に、とても興味を持っています。
縄文時代は1万年以上続いたとされ、とても豊かな暮らしをしていたようです。日本独自の文化であり、争いの少ない平和な時代だったそうです。気候もよく、森にも海にもたくさんの食料があり、春には山菜、夏は漁労、秋は木の実、冬は狩猟という、季節変化に応じた計画的な労働(縄文カレンダー)での暮らしがありました。
主な男の仕事は狩猟だったり、船づくり、石器づくり。女の仕事は木の実や貝拾いや土器づくり。ムラで協働で畑をつくり、竪穴住居も協働で建造。狩猟の相棒として犬を大切に飼っていたようです。
1万年以上続いた縄文のDNAは、必ず現代でも引き継がれていると思います。だから女性は竹籠(かばん)が好きなんだ、だから男性はつるつるの石が落ちていると拾ってしまうんだ(狩猟用石器)、などなど、勝手になのですが思うことがたくさんあります。
竪穴住居は、地面を少し掘りくぼめて床とし、柱を4~7本建て、煙り出しのある(茅葺き)屋根を掛け、中央には火をたく炉、という形式です。あれ? 日本各地の山間部ではこの縄文の建築技術はつい最近まで続いていたよね? というくらい脈々と繋がっています。
縄文の暮らしに戻ろうとしているわけではありませんが、DNAに刻まれているであろう、素晴らしい文化、人間愛、自然愛、幸福さや心地よさの基準を、素直に受け入れる。この縄文から続く変わらないもののなかには、素敵な家づくりやお店づくりのヒントがたくさんあると思います。

(19)プランについて

建築地がないと、建物をつくることができません。
その土地は、同じということがなく、住む人たちも、使う人たちも、同じということがありません。
その土地、住む人、使う人、に合わせた家やお店を考えること、が、建築においてのプランの基礎となります。
このプランを考える作業の大半は頭の中で行われ、その出力方法は、方眼紙とお気に入りのシャープペンシル。幾度と重ねた、暮らしかたの希望に対するヒアリングや面談、その土地の情報、風の吹きかた、日照条件、いろいろな情報を整理しながら、構造的にも安定しているか、80年以上なんだかんだ愛して住んで使ってもらえるか、地域や町並み、ご近所さんにとっても負担のないものであるか、などなど、結構な時間をかけて考えます。
土地は個性があります。その個性のいいところを見つけて、建築を介して、伸ばしてあげることができます。変形地や高低差のある土地など、その持っている個性が強い場合は、丁寧によく考えてプランしてあげれば、その個性を大いに生かした、またとない家やお店をつくることができる可能性があります。
建築地が違い、住む人、使う人が違う。建物がまったく同じプランということはやはりないのでは? と思います。
このプランを考える作業なのですが(自分でいうのもなんですが)なかなか一朝一夕にはできないものです。どこかで習ったらすぐにできるようになるものでもなく、実生活の体験や感情の経験も重ねる必要があります。
空間の大きさの把握、建築の知識や使う材料のこと、つくる職人さんのこと、その土地や地域のこと、自然の情報、実際の暮らしの移り変わり、子どもの成長、家族が歳を重ねた時のこと、ペットのこと、などなど、実体験もないとやはりいいプランはできないと思います。
私自身、まだまだ人生の半分地点ですが、日々起こるさまざまな事柄を大切に書き留め、プランに反映、共有できればと思っています。

(20)建築費の価値

私自身の価値観です。お金は何かに使われてこそ価値が生まれます。
建築費を大きく分類すると、①「建築資材の材料費とその経費」②「職人方の施工費とその経費」③「工務店やハウスメーカーの経費」の大きく3つに分類されます。
この3つ費用はやはり必要なもので、建築費用が高額にならないよう努力はするのですが、何かをなくしたり大幅に減らしたりすることは不可能に近いものです。
私自身がこの中で一番に価値を見出すのは、①の「材料や素材」です。その材料や素材というのは、丈夫で、自然な素材で、カスタムも受け付けてくれる気楽なもの。豪華なものや多機能なものというわけではなく、長い間気に入って傍に置いておきたくなるような素材です。
石油由来の工業製品(ビニールやプラスチックやゴム)は現代の生活では必要不可欠なもので、毎日の生活でお世話になっております。建築材料で使用される「新建材」と呼ばれるものは、日本では戦後の高度成長期から主に開発されました。この石油由来の工業製品の利点(寸法安定性や製品の均一化)を活かして、さまざまな建材、床材、壁材、天井材、屋根材、外壁材、構造材など、新建材のすべてで、一般住宅や店舗を建てることもできてしまいます。施工する側(工務店やハウスメーカー、職人含め)も、安定した品質で、工期も早く、新築後10年程(一般的にいう保証期間)までは比較的クレームにならない素材とされています。
短工期で手離れのいい工事は、建築費のコストダウンに大きくつながります。しかし、10年を超えて、20年、35年となると、その素材の耐久性の限界が訪れます。工業製品、自然素材含め、どんな素材も寿命はあるのですが、新建材の寿命はまだまだ短いものが多いように思います。数年で廃番となってしまったり、それらを扱っての工法の変化により、数十年後の改修時期には同じ資材の調達が難しく、結果、あれもこれもと大規模な修繕をしないとその建物の存続が難しく、であったら建て替えましょうか、となることが多いのではないのでしょうか。
これはこれで、建築や建材の消費活動が生まれ、新建材メーカーやそれを使って建てる建築屋さんにはありがたいこと。しかし、建替えという行為は、付随する解体工事費、産業廃棄物の問題など、課題はいろいろ残ります。
一方、自然素材は、材料そのものの費用が高額と感じるものは、実は少ないです。
これを扱っての職人施工費の人工(ニンク)がかかることが多いのです。
新建材を使った建築の①と②、自然素材を使った建築の①と②、では、現代の日本での建築は後者のほうが高額になることが多いです。
現場で人が柱を建てたり、1枚1枚板を貼ったり、1個ずつ石を積んだり並べたり。このような作業が高額になる要因ですが、実はこのコツコツした作業が、数十年後も、部分的な補修を可能にします。自然素材なので品番はありません。同じようなものが難なく入手できるでしょう。補修で使った自然素材は、数年の経年変化があれば、新しいものも古くからあるものも同化して馴染んでいきます。
長く住める家には、「記憶」も積み重ねていけます。
建築にかかる費用、お金。その価値を何にどう見出すか。一番わかりやすいものが、やはり「素材や材料」ではないでしょうか。

(21)かっこいい建物

ありがたいお言葉なのですが、「イシハラスタイルのつくる建物ってかっこいいですね」といっていただくことが、ときにあります。ありがとうございます、とうれしい反面、かっこよくつくることを一番には考えてないので、そのお褒めのお言葉に内心では戸惑うことがあります。
かっこいい建物ってなんなんだろう、と少し考えてみたのですが、これは人間に例えるとわかりやすい気がしました。
たとえば元TOKIOの長瀬智也さん。かつてはアイドルグループメンバーとして活躍し、現在はフリーで活動。ご自身の好きなバイクや釣り、ご自身のできることや才能を活かして生き生きと活動されているようです。メディアでしか拝見したことはないですが、目鼻立ちが整い高身長でスタイルよい外見、年齢とともに醸し出す雰囲気もあり、ご自身らしいライフスタイルもかっこいいなと思います。
これをわたしたちのする建築にあてはめてみます(多少無理があったらご笑覧ください)。
まずは、建物の立面、窓の位置や取り付くものの位置を整えながら、全体のボリュームをスタイルよく計画(整ったお顔と高身長でスタイルよい外見)。
つぎに、時間と共に味わい深くなる素材を選定します。傷や記憶を刻んでいくような素材です(年齢とともに醸し出す雰囲気)。
そのような建物をきちんとつくりお引渡し、住まい手さんがその方らしく使い込んでいってもらう(ご自身らしいライフスタイル)。こう当てはめると、なんだか無理なくできてしまうような気がします。そしてそれは大きな費用もかからず。
若いうちはかっこよかった、にとどまらず、素性のよいスタイルで、時を経て使い込んでいくほどに雰囲気がよくなっていく建物が、 ほんとうにかっこいい建物といえるのではないでしょうか。